正しいことを言われても受け取れない理由
どんなに正しいことを言われても、受け取れないことがある。
「わかってはいるんだけど……」と思ったことはありませんか?
関係性によっては正直に言えることもあるけれど、言えない相手もいますよね。
たとえば、上下関係があるとき。
大人と子ども、上司と部下、指導者と学ぶ人。
自分が「下」の立場だと、どうしても本音が出せないことがある。
だから、伝える立場の人は、
「伝え方」だけでなく、そのあとの「関わり方」も工夫できると変わってくると思っています。
アイメッセージ+「どう思う?」という関わり
私自身が大切にしていることがあります。
それは「アイメッセージ」で伝えること。
「私は〜と感じた」
「私には〜に見えた」
そんなふうに自分を主語にして伝えます。
「あなたが〜だから」と言われると、どこか責められているように感じることって、ありませんか?
「私は〜と感じた」にするだけで、受け取りやすさがずいぶん変わります。
そして、伝えたあとに一言添えます。
「どう思う?」
たったこれだけです。
でも、この一言がとても大切だと私は思っていて。
こちらがどんなつもりで伝えたとしても、相手がどう受け取ったかはわからないんですよね。
もしかしたら
納得できなかったかもしれない。
傷ついたかもしれない。
言い返せなかっただけかもしれない。
あるいは
別の考えを持っているかもしれない。
それなのに「私はちゃんと伝えた」で終わってしまうと、相手がどう受け止めたのかが見えないんです。
だからこそ、
「私は~と感じた(思った)けれど、あなたはどう思う?」
と相手に返していく。
伝えたあとも相手を理解しようとする
傾聴というのは、相手の気持ちをわかろうとしていくプロセスです。
それは伝える場面でも同じなのかもしれません。
伝えたあとに相手がどう感じたか、どう受け止めたか——
その気持ちにも、丁寧に目を向けたい。
伝えたあとも相手の心に寄り添おうとする。
そうすると、絶対ではないけれど、相手が「言えた」と思える場になっていく気がします。
不満って、言えないときに募りますよね。
「どうせ言っても……」と感じるとき、心の中にじわじわと積み重なっていく。
だから、「どう思う?」の一言は、
「あなたの気持ちを聴かせてほしい」
という、メッセージになるのだと思います。
相手の本音は、正しいことを言われたから出てくるというより、
「この人になら、話しても大丈夫」
そう思える関係の中で、少しずつ姿を見せてくれるように思います。
ここから少し深掘り
ロジャーズは、共感的理解についてこんな言葉を残しています。
「共感的理解とは、私が感じ取ったことは本当に合っているだろうか?と、相手の反応を受け取りながら、ずっと確かめ続けることだ」
※参考:C.R.ロジャーズ「 A Way Of Being」(1995)(筆者意訳)
「どう思う?」と聞くのは、まさにこれだと思うのです。
「私はこう感じた」と伝えたあとに、相手がどう受け止めたかを確認する。
一方的に正しさを届けるのではなく、相手の反応に耳を傾けながら一緒に進んでいく。
ロジャーズが大切にしていたのは、そういう「ともに進む」姿勢だったのかもしれません。





