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傾聴とは?ただ話を聞くこととの違いと「体験を聴く」ということ

傾聴を学び始めたころ、私は相手の話を聴きながら、よくこんなことを考えていました。

「次、何て返そう」

あいづちはこれでいいのかな。
くり返すなら、どの言葉を返したらいいんだろう。
質問してもいいのかな。

相手の話を聴いているはずなのに、気づくと、自分がどう応答するかのほうが気になっている。

そんなことが、けっこうありました。

でも、傾聴を学んでいくうちに、少しずつ思うようになったんです。

傾聴って、「何て返すか」より前に、もっと別のことをしているんじゃないか、と。

では、傾聴って、いったい何をしているんでしょう。

傾聴って、何をしているんだろう

たとえば、相手が、

「来月、部署が変わることになって」

と話したとします。

それを聞くと、「それは大変そうだな」と思ったり、「新しい部署、楽しみなのかな」と思ったりします。

普段の会話なら、

「大変だね」
「よかったじゃない」

と返したり、「新しいところでも頑張ってね」と声をかけたりすることもありますよね。

私も普通にそういう会話をします。

ただ、傾聴しようとするときは、少し違います。

部署が変わることを、その人がどう感じているのかは、この時点ではまだわかりません。

ずっと希望していた部署への異動でうれしいのかもしれないし、慣れた人たちと離れることが寂しいのかもしれない。

もしかしたら、うれしいとか寂しいとか、そんな言葉ではまだうまく言えない感じなのかもしれません。

聴いている私には、まだわからないんですよね。

だから、

「この人にとって、部署が変わるってどんなことなんだろう」

と、その人から少しずつ聴かせてもらいます。

自分の経験から「きっとこうだろう」と決めるのではなく、その人が話してくれることを手がかりにしていく。

私は、傾聴ではそんなことをしているんだと思っています。

体験を聴く

話している本人にも、自分がどう感じているのか、まだよくわからないことがあります。

さっきの異動の話も、

「うれしい」と言えば、たしかにうれしい。

でも、いざ決まってみたら、何となく落ち着かない。

その「何となく」が、まだ本人にもはっきりしていないことがあります。

話しているうちに、

「新しい部署が嫌なんじゃなくて、今の人たちと離れるのが思っていたより寂しいのかも」

と出てくることもあるかもしれません。

ここでいう「体験」は、「何があったか」という出来事そのものではなく、その出来事がその人の中でどんなふうに感じられているのか、ということです。

すでに言葉になっている気持ちだけではなく、まだ何と言ったらいいかわからない感じも含まれています。

私は、そういうところにも耳を向けていくことを「体験を聴く」と考えています。

聴く人の態度――中核三条件

では、そういう、まだはっきり言葉になっていないものを聴くとき、聴く側はどういたらいいのでしょう。

傾聴というと、「何て返すか」に目が向きやすいのですが、聴き手の態度もかなり関係していると思います。

ロジャーズは、治療的な人格変化が起こるための条件として、六つの条件を示しています。

その中で、聴き手の態度としてよく知られているのが、

自己一致
無条件の肯定的関心
共感的理解

の三つです。「中核三条件」と呼ばれています。

言葉だけ見ると、ちょっと難しそうなので、ここでは簡単に触れておきます。

自己一致は、自分の中で起きていることをごまかさずに、自分でも気づいていくことと関係しています。

相手の話を聴いていて、

「それは違うと思っているな」
「ちょっと引っかかっているな」

と感じることもあります。

そういう自分の反応を無理になくそうとするのではなく、まず気づいている。

無条件の肯定的関心は、こちらの基準で「この人はいい」「この考え方は受け入れられない」と決めてしまわず、その人を理解しようとする態度です。

相手の言うことに賛成できないことも、もちろんあります。

それでも、「どうしてそう思うようになったんだろう」と聴くことはできます。

共感的理解は、その人の側から、その人がいま体験していることをわかろうとしていくこと。

こちらが「こういうことかな」と受け取ったものが違っていれば、相手に教えてもらって、また聴いていきます。

共感については、こちらの記事でもう少し詳しく書いています。
傾聴における共感とは?「わかる、私も同じ」とは少し違う

私は、この三つを覚えて守るルールというより、人の話を聴くときに、どんなふうにその人と一緒にいるのかに関わるものだと捉えています。

では、態度が大事なら、あいづちやくり返しのような技法は必要ないのでしょうか。

技法は必要ないのか?

ここまで読むと、

「じゃあ、あいづちやくり返しみたいな技法は、なくてもいいの?」

と思う方もいるかもしれません。

私は、技法も必要だと思っています。

あいづちやくり返し、伝え返しなど、実際に人の話を聴くときに使うものがあります。質問をどうするか、沈黙のときにどう関わるかもそうですね。

私も講座では、そうしたことをお伝えしています。

ただ、技法を覚えることと、傾聴できるようになることは、同じではないと思っています。

たとえば、相手が、

「もう何を言っても無駄な気がして」

と話したとします。

そこで、

「無駄な気がするんですね」

とくり返す。

形としては間違っていないのかもしれません。

でも、「くり返すのが傾聴だから」と言葉だけを返していたら、その人が言う「無駄な気がする」がどんな感じなのかまでは、あまり聴けていないことがあります。

「この人の『無駄な気がする』って、どんな感じなんだろう」

と聴いていたら、同じ言葉を返すとしても、たぶん少し違ってくると思うんです。

私は、技法を、相手を理解していくために使うものだと考えています。

最初は型を覚えることも必要です。あいづちやくり返しも、実際にやってみないとわからないことがあります。

でも、少し慣れてきたら、

「この技法を使わなきゃ」

ではなくて、

「いま、私は何を聴こうとしているんだろう」

と、一度そこに戻ってみる。

私の中では、技法と態度はそんなふうにつながっています。

私の傾聴観

今の私は、傾聴するときに「わかった」と思いすぎないようにしています。

相手が話してくれたことを聞いて、

「こういうことかな」

と感じることはあります。

でも、それはあくまで私がそう受け取ったということなんですよね。

こちらが受け取ったものを相手に返してみて、

「そう、それです」

と言われることもあれば、

「うーん、ちょっと違う」

と言われることもあります。

違っていたら、もう少し聴かせてもらう。

自分の中に「それは違うんじゃない?」という反応が出てきたら、それもなかったことにはせず、「私はそう感じているんだな」と気づいておく。

そのうえで、また相手の話を聴いてみる。

私にとって傾聴は、何かを正しく言い当てることより、こうやって相手から教えてもらいながら聴いていくことに近いです。

もちろん、今でもうまく聴けないことはあります。

でも、以前ほど「何て返せば正解なんだろう」とは考えなくなりました。

「ちゃんと聴かなきゃ」と思うほど苦しくなってしまうことについては、こちらにも書いています。
傾聴が苦しいのはなぜ?「してはいけない」より大切な3つの視点

傾聴を実際に練習してみたい方へ

文章で読むと「なるほど」と思えても、実際に人の話を聴くと、なかなかその通りにはいきません。

沈黙になると何か言いたくなったり、価値観の違う話になると急に聴きにくくなったりします。

私自身も、頭ではわかっているのにできない、ということを何度も経験してきました。

傾聴1日講座®(基礎・実用)では、傾聴についての考え方だけでなく、あいづちやくり返し、沈黙、伝え返しなども実際に声に出して練習します。

相手を大切にしながら、自分のことも置いてきぼりにしない。そんな聴き方を、講座でも一緒に練習しています。

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