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傾聴における共感とは?「わかる、私も同じ」とは少し違う

「共感」という言葉って、よく使いますよね。

「わかる、私も同じ」
「それ、すごく共感する」

普段の会話では、こんなふうに使うことが多いと思います。

私も以前は、共感というのは「相手と同じように感じること」だと思っていました。

なので、自分とは考え方が違う人の話を聴くと、

「私はそうは思わないんだけど、これで共感できるのかな」

と迷うことがありました。

でも、傾聴でいう共感を学んでいくと、どうもそれとは少し違うんですよね。

相手と同じ気持ちになることでもないし、相手の考えに賛成することでもない。

じゃあ、傾聴でいう「共感」って、何をしているんだろう。

今回は、私が今理解している共感について書いてみます。

「私もわかる」と共感は少し違う

たとえば、相手が、

「課長から、お前は使えないって言われて腹が立った」

と話したとします。

自分にも似たような経験があったら、

「わかる。私もそんなこと言われたら腹が立つ」

と思うかもしれません。

こういう、自分も同じように感じることを、ここでは「同感」と呼んでおきます。

同感することが悪いわけではありません。

人の話を聴いていれば、「私もそう思う」と感じることはありますし、私にも普通にあります。

ただ、自分だったら腹が立つからといって、相手の「腹が立った」が、自分と同じとは限らないんですよね。

同じ言葉を使っていても、その人がそこで何を感じているのかは、もう少し聴いてみないとわかりません。

「わかる」と感じても、それで相手のことまでわかったとは限らない。

私は、そこを分けて考えるようになりました。

→ 同感できないとき、どう聴けばいい?

「あたかもその人であるかのように」聴く

ロジャーズは共感を説明するとき、「あたかもその人であるかのように」という表現を使っています。

ここで出てくるのが、「内的準拠枠」という言葉です。

ちょっと難しい言葉ですが、その人が自分の内側から見たり、感じたりしている世界、と考えると少しわかりやすいかもしれません。

たとえば、

「仕事なんて、適当でいいと思うんですよ」

と言われたとします。

私はそれを聴いて、

「いや、仕事はちゃんとやったほうがいいでしょう」

と思うかもしれません。

そう思った自分を、なくす必要はないと思っています。

私はそう思った。それはそれでいい。

ただ、「私だったら」というところだけで相手を見ていると、

「仕事を適当にやるなんて、よくないよね」

で終わってしまいます。

そこで、

「この人は、どうしてそう思うんだろう」

と、もう少し聴いてみる。

何か理由があるのかもしれないし、本人もまだうまく言葉にできないのかもしれません。

その先は、相手から聴かせてもらわないとわからないんですよね。

共感するとき、私は「私ならどう思うか」から少し離れて、その人の側からわかろうとします。

ただ、あくまで「あたかも」です。

相手の側からわかろうとはするけれど、私が相手になるわけではありません。

私は私のままで、その人の世界をわかろうとする。

この「あたかも」というところは、けっこう大事なんじゃないかと思っています。

共感で聴くのは、感情だけではない

傾聴では、「相手の気持ちを聴きましょう」と言われることがあります。

もちろん、気持ちに耳を向けることは大事です。

でも、共感で聴こうとしているのは、「悲しい」「腹が立つ」「うれしい」といった感情だけではないんですよね。

さっきの、

「仕事なんて、適当でいいと思うんですよ」

という言葉もそうです。

ここで、

「やる気がなくなったんですね」
「腹が立っているんですね」

と、こちらで意味を決めてしまうと、本人が感じていることとは違うかもしれません。

この人にとって、仕事のことが今どんなふうに感じられているんだろう。

そこは、話を聴きながら少しずつ確かめていきます。

話している本人にも、まだよくわからないことがあります。

「腹が立つ」と言えばそうなんだけど、何となくそれだけでもない。

でも、ほかの言葉もまだ出てこない。

そんなこともありますよね。

傾聴では、すでに言葉になっているものだけではなく、本人にもまだうまく言葉にできていないところも含めて、体験を聴いていきます。

→ 傾聴とは?「体験を聴く」ということ

共感は、一度で「わかる」ことではない

以前の私は、自分が返した言葉に、

「そうなんですよね」

と言ってもらえると、

「よかった。ちゃんと共感できた」

と思っていました。

反対に、

「うーん、ちょっと違うんですよね」

と言われると、

「あ、間違えた」

と思ってしまう。

でも、今は少し違う捉え方をしています。

ロジャーズは1975年に、共感を固定した「状態」としてではなく、相手とともに動いていく過程として捉えています。

こちらが、

「こういう感じなのかな」

と受け取ったものを言葉にしてみる。

相手が、

「そう、それです」

と言うこともあれば、

「いや、そこじゃないんです」

と言うこともあります。

違っていたら、もう少し聴かせてもらう。

こちらの言葉をきっかけに、相手が自分の中を確かめることもあります。

「ちょっと違う」と言われたからといって、それだけで失敗したとは限らないんですよね。

こちらが受け取ったものを差し出して、相手に確かめてもらう。

私は、共感をそんなふうに考えています。

→ 「悲しかったんですね」が、しっくりこなかった理由

私が今、共感するときに気をつけていること

自分の中に、

「私はそうは思わないな」

という反応が出てくることがあります。

以前は、そういうことを思っていたら共感できないんじゃないか、と感じることもありました。

今は、その反応をなくそうとはしていません。

「ああ、私はそう思っているんだな」

と気づきながら、相手の話は相手の話として、もう少し聴いてみる。

そうすると、最初に自分が受け取ったのとは違うものが見えてくることもあります。

もちろん、最後までよくわからないこともあります。

以前より、「ちゃんと共感しなきゃ」と力むことは減った気がします。

相手のことは、相手から聴かせてもらうしかないんですよね。

傾聴を実際に練習してみたい方へ

文章で読むと、

「相手の側からわかろうとすればいいんだな」

と思えるかもしれません。

でも、実際に人の話を聴いていると、自分とは考え方が違ったり、「今の返し方でよかったのかな」と迷ったりします。

私も、頭ではわかっているのに、実際にはなかなかできないということを何度も経験してきました。

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こちらで相手の気持ちを決めてしまわず、返した言葉を相手に確かめてもらいながら聴いていくことも、講座の中で扱っています。

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