「どうにもならない」を何とかしたくなる
「どうにもならないんです」
傾聴をしていると、そんな言葉を耳にすることがあります。
夫は変わってくれない。
病気は治らない。
過去はやり直せない。
何をしても、どうにもならない。
そんなとき、つい、
「本当にどうにもならないのだろうか」
「何かできることがあるのではないか」
と考え始めることってないですか?
そして、
これはコントロールできる問題なのか、できない問題なのか。
そんなふうに、分類したくなることもあるかもしれません。
もちろん、それも大切な視点です。
でも、傾聴の場でまず大切なのは、その分類が正しいかどうかを判断することではなく、
「どうにもならない」
という、その人の感覚に触れることなんですね。
解決しようとしていた私が気づいたこと
実は昔の私は、ロールプレイで相手のリアルな悩みを聴くと、
「何か解決策はないかな」
「どうしたら少しでもよい方向に向かうだろう」
そんなことを考えながら聴いていました。
でも、その人は、どうにもならないと思っているからこそ悩んでいる。
そして私も、
「どうしてあげたらいいんだろう」
と困ってしまって、何も言えなくなってしまったことがありました。
ただ、相手の言葉を受け止めるだけで精一杯。
当時は、
こんな自分ではダメなんじゃないか。
もっと何か言わなくてはいけないんじゃないか。
そんなふうに思っていました。
でも、いま振り返ると、それでよかったんだなと思うんです。
傾聴は「プロセス」を信頼すること
どうにもならない。
行き場がない。
八方ふさがり。
先が見えない。
そんな感覚の中で、その人は立ち尽くしている。
もし、こちらが早く何とかしようとしてしまうと、その感覚そのものは置き去りになってしまいます。
けれど、
「どうにもならない感じなんですね」
「もう、どうしていいかわからない感じなんですね」
と、その感覚にそっと触れていくと、
最初は「どうにもならない」というひとつの塊のようだったものの中から、少しずつ
何かが見えてくることがあります。
本当に苦しかったこと。
大切にしたかったこと。
あきらめきれなかった願い。
言葉になっていなかった思い。
そして、
状況は変わっていなくても、その人の中で、何かが少しずつ変わり始めることがあります。
だから、傾聴とは、
「どうしたらいいか」
を急いで探すことではなく、
「どうにもならない」
という感覚そのものに、付き添っていく。
答えが見つかる前に、まず、その「どうにもならなさ」の中に誰かが一緒にいてくれること。
そこから始まるものもあるように思うのです。
ここから少し深掘り
ジェンドリン(フォーカシングの創始者で、ロジャーズの共同研究者でもありました)は、
人が「どうにもならない」と感じているとき、そこには単なる感情ではなく、
状況全体を含んだ、まだ言葉になっていない「感じられた意味(フェルトセンス)」があると考えました。
その曖昧な感覚に、誰かと一緒に注意を向けていくことで、少しずつ新しい意味や次の一歩が生まれてくる。
ジェンドリンは、そのプロセスを見出した人なんですね。
そう考えると、
「どうにもならない感じなんですね」
と、その感覚にそっと触れるように受け取っていく応答も、決して「何もしていない」わけではありません。
その人の体験が、次の一歩を見いだしていく過程にただ付き添うこと。
ジェンドリンは、それ自体に深い意味があると考えていました。
話を聴くということは、その人のプロセスを信頼し、支えることなのですね。





