「傾聴」で検索をすると、このように書かれています。
《名・ス他》(耳を傾けて)熱心にきくこと。
「―に値する」
おそらくこれが一般的な傾聴のイメージでしょう。
ですが熱心に聴けば傾聴になるのか?というと、実はそうではありません。
そもそもはアメリカの心理学者カール・ロジャーズが提唱した、「来談者中心療法」が基礎となっています。
来談者中心療法とは
カウンセラーやセラピストが、クライアントの話を聴くことよって、クライアント自身が気づき変容していくことを目的とした療法です。
つまり傾聴はたんに熱心に聴けばいい、というものではなく、聴く目的や決まりごとがあるのです。
傾聴はスポーツと似ている
例えばテニス。
テニスを知らない人にラケットを渡して「試合をしてください」と言っても、どうしたらいいかわかりませんよね。
見よう見まねでなんとなくはできても、ボールに当たったり当たらなかったり。
あるいは当たってもあさっての方向へ飛んで行ったり。
スポーツなら本人が楽しければいい、という考え方もあります。
それと同じで、普通の会話であれば「盛り上がって楽しかったね」でOKです。
けれど傾聴はそうではありません。
傾聴という聴き方が上達するためには、
傾聴とは何か?
何を目的として聴くのか?
ということをはっきり理解しておく必要があります。
スポーツのルールを理解し、「型」を練習するのと似ていますね。
傾聴の大きな誤解
ただ誤解しないでいただきたのですが、「熱心に聴くことがいけない」と言いたいのでありません。
それはそれでいいのです。けっして間違いではありません。
けれど、まずは傾聴とは何か?をしっかりと理解したうえで練習したほうが上達しやすいでしょう。
逆に言えば、よくわからないまま何となくやっていると
自分は何をしているのか?
どこを目指してやっているのか?
がわからなくなり、結果、聴くことがしんどくなったり苦しくなったり…というがよく起こるのですね。
実際このように言われたことがあります。
「傾聴って我慢ですよね」
これは大きな誤解です。
我慢して聴くことが傾聴ではありません。
せっかくのいいスキルなのに、そんなふうになってしまうのはもったいないですね。
つまり傾聴とは
ということで、傾聴とは何かというと
- 来談者中心療法がはじまりである
- 聴く目的が明確にある
- ただ熱心に耳を傾けていれば傾聴になる、というものではない
となります。
それでは次回は傾聴の目的について書いていきます。