「ふつう」だからこそ気づきにくい

今回はわが家のエピソードを交えて
お話ししたいと思います。

先日高校生の息子が
「カレーをおしゃれに食べたい」
と言い出し、なぜかマグカップを取り出してきたんですね。

で、ご飯をよそってカレーをかけようとしてたので
「ちょっと待って!」
とあわてて止めました。

「ふつうはコップで食べないでしょー!」と。

だけど「なんで?」と聞かれてハッとしました。

禁止する明確な理由がない…

あなたはマグカップでカレーを食べてはいけない理由を説明できますか?

私は…できませんでした。
そういえばそんな決まりはないよね、と思ったんです。

つい「ふつうは」と言っちゃったけど、
それは

“一般的にはお皿で食べるものだ”

という思い込みのようなもので
彼にとってはマグカップはOKだったのです。

じゃ、私の中で何がNOと言わせたのか?

・私はそんなことしない
・そんなことする人は見たことがない
・マグカップは飲み物に使う食器
・非常識

もっとありそうだけれど
おそらくこの辺りが引っ掛かったのでしょう。

でも実際は何が正しくて何が間違いかは、意外とあやふやです。

けれど自分にとっての当たり前が
どうしても”ふつう”で”正しい”と感じてしまうんですよね。
(そうじゃないって、わかっているつもりなのですが)


これは人の話を聴くときもそうですが

自分にとっての“ふつう”や“当たり前”から外れたとき、何かひとこと言いたくなるんですよね。

でも実際は”ふつう”かどうかなんて、あいまいなものも多いのです。

こんな言葉があります。
アインシュタインの有名な名言です。

『常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう』

「身につけた」というのがまさにその通り!

常識とか価値観は、養育者や周りにいた大人たちの影響が大きいんですね。

私たちはいつのまにかそれを受け継いでいるのです。

そして「正しい」と思うから、疑うこともほとんどない。

そこがやっかいです。

人の数だけ「正しさ」はあります。
それはもちろん、自分にもあるわけです。

だけど、やっぱり傾聴するときは、

相手の価値観ってなんだろう?
その人の正しさや常識、当たり前に思っていることはなんだろう?
そこを100%わかりたい!

と思って聴くのが大切なんですよね。

そして自分と相手の違いを否定せず、わかり合う。

こういうコミュニケーションができるといいなと思います。

 

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