今回は
「聴きたいのは誰のためなのか?」
というお話しです。
先日、うちの高校生の息子が
めずらしく荒れていました。
「あ゛ー!」とか
「くそ…っ」とか
「はぁー!」とか言って
でもそれ以上は言わないので
何に苛立っているのか
さっぱりわかりません。
気にはなったけれど
彼なりに気持ちに折り合いをつけているのかなぁ、と感じ
そっとしておくことにしました。
とはいっても
あまりにも目の前で
不機嫌さをダダもれにしているので
(もしかして話を聴いてほしいのかな…?)
と思い、念のため
「聴いたほうがいい?」
と確認したところ速攻で断られました。
余計なお世話だったようです。笑
あなたは、家族や親しい人が
悩んだり困ったりしていたら
どうしますか?
つい手を差し伸べたくなりませんか?
私はなります。
どんなことで悩んでいるのか知りたいし
自分にできることなら助けてあげたい。
そして
なにより気持ちを分かってあげたい
と思います。
けれど、それはときに
自己満足にすぎないことがあります。
まず、知りたいと思うのは
知らないことへの不安から来る
自分の欲求です。
助けてあげたい、も
私が苦しんでいる人を見ているのが辛い
の裏返しです。
そして気持ちを分かってあげたい、は
自分が納得したいだけのことがあります。
もちろん、
そう思うことが悪いわけではありません。
けれども何かしたいと思ったときは
それは相手のためなのか
自分のためなのかを
ちゃんと自分で
わかっておく必要がありますね。
「あなたのために」を枕詞にして
自分の欲求とか気持ちを
解決しようとしていることって
けっこうあるんですよね。
傾聴も同じです。
聴くのは相手のためなのか
自分のためなのか。
もしかしたら
聞き出すことが目的になっていないか?
自分の不安を解消するために
聞きたいと思っていないか?
私もときどき立ち止まって考えます。