「本当の自分」を探すより大切な自己理解の話

自分を知ることは、悪いことではない

「私、こういう人間なんです」

そんなふうに、自分を説明することってありますよね。

「人見知りで」
「ネガティブで」
「気にしすぎる性格で」
「昔からこうなんです」

もちろん、そうやって自分を理解しようとすることには意味があります。

自分の傾向がわかると、少し楽になることもありますから。

たとえば私は、いわゆる“研究者タイプ”で、

・すぐに結論を出すより、じっくり考えたい
・納得してから動きたい

そんな傾向があります。

だから、何かを始めるときも決断するときも、わりと時間がかかります。

以前は、「行動が遅い」「慎重すぎる」と自分を責めることもありました。

でも、「自分はそういうタイプなんだ」と理解できてからは、少し楽になりました。

無理に行動力のある人になろうとするより、

自分のペースを尊重したほうが、結果的に自然に動けることも増えたんです。

だから私は、分析やラベル付けすることそのものが悪いとは思っていません。

「私はこういう人」が苦しくなるとき

ただ、ときどき感じるんです。

その言葉を、変わらない本質のように扱い始めると少し苦しくなることがあるな、と。

「私はこういう人だから」

その言葉が自分を理解するためのものではなく、

自分を閉じ込めるものになってしまうことがあるからです。

よく、「本質は変わらない」と言います。

でも私は、人ってそんなに固定されたものではない気がしているんです。

たとえば昨日まで、「私は人前で話すのが苦手」と思っていた人が、

ある出会いや体験をきっかけに少しずつ変わっていくことがあります。

逆に、ずっと平気だったことに急に心が反応し始めることもある。

人は「こういうもの」、と言い切れない存在なんじゃないかな、と思うんですよね。

生きながら少しずつ変わっていく。

そういう存在なのかもしれません。

いまの自分に耳を澄ませる

傾聴やフォーカシングをしていると、私はよく、

「人は、自分で思っている以上に、今も変化し続けている存在なんだな」

と感じます。

その人の中で、まだうまく言葉にはできない思いや感覚が動いている。

だから私は、

「あなたはこういう人ですね」

と決めてしまうより、

「いま、あなたの中では、どんな思いや感覚が動いているのでしょうか?」と

そこに、そっと耳を澄ませていたいと思うのです。

ここから少し深掘り

フォーカシングを提唱したジェンドリンは、このように語っています。

Personality is not so much ‘what one is,’ as how one carries oneself forward in further living…

 

和訳:人格とは、『その人がどのような存在であるか』ということよりも、むしろ、これからの人生においてどのように自らを歩んでいくかということにある…

※参考:E.T.ジェンドリン「Experiential Psychotherapy」(1973)
https://www.focusing.org/gendlin/docs/gol_2029.html

 

つまり私たちは、「こういう存在」と固定されたものではなく、

生きながら、その都度あり方を創っていく、という人間観なんですね。

だから私は、「本当の自分を見つける」というより、

“いまの自分に、丁寧に触れていく”

ことのほうが大切なのではないかと感じています。

私自身、その視点にとても救われてきたように思います。

 

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