※stand.fmで配信した内容を、文字に起こしています。
さて、今日は質問をいただいたので、それにお答えしていこうと思います。
昨日ですね、とあるかたのライブ配信にお邪魔したんですね。
そこでこんな質問をいただきました。
「白石さんは傾聴するときに、どんなことを意識して聴いていますか?」という質問でした。
私は聴くだけの参加でしたので、コメントでお返事したんですけれども、こんなふうに答えました。
「私は役に立たないと思って聴いています」と。
そしたらやっぱり、混乱されてましたよね。
確かによくわからない答えだったと思います。
これはどういうことかと言いますと、聴くという行為そのものは、もしかしたらお役に立っているのかもしれないけれど
傾聴したことよって、仮に相手の方が元気になったり、何か気づいたといことがあったとしても、それは私のおかげではないと思っているんですね。
その方ご自身でそうなった、というだけなんです。
その方の中で、元気になれる何かがあったんだなぁ
何か気づくことがあったんだなぁ
とそんなふうに思うんです。
私がお役に立てたんだ、とは思わないですね。
「私は役に立たないと思っている」というのは、そういうことなんです。
うまく伝わっているかどうか心配なんですけど。
逆に言うと、役に立とうとしていない、と言った方が伝わるかな?
私はそのほうがうまく聴けるんですね。
なぜそんなふうに思うようになったかというと、
私自身、何かお役に立ちたいなと思って、耳を傾けていた時期があったんです。
相手の方がラクになれるように聴いて差し上げたいと。
だいたい傾聴というのは、心配事とか悩み事を聴くときによく使うんですけど
私が何かしてあげたい、できれば役に立ちたいと思っていると、話を聴きながら、やっぱり解決策を考え始めちゃうんですね。
どうしたらこの方の心配事はなくなるんだろう、とか
どうしたらラクになれるんだろう、とか。
こうしたらいいんじゃないですか?って言いたくなったり。
で、実はそういうことを考えているときっていうのは、聴いてないんですね。
「何て言おうかな」って考えているときって、けっきょく相手の話って聴いてないんです。
自分の思考に一生懸命になっちゃってるから。
これは私の場合だから、みんなもそうだとは言わないけれど
役に立てるかどうかを気にしていると、傾聴に集中できない、結果、深く聴けないということなんですね。
ということで、今日は「私は役に立たないと思って聴いています」というお話しでした。