傾聴はロジャーズが創始した来談者中心療法がベースにあることをご存じの方も多いと思いますが、もともとは心理療法で行われていた聴き方です。
それが今日、広い意味で傾聴という言葉が使われるようになったのですが、それはさておき。
先日、ロジャーズが実際にセラピーをしている記録映像を観ました。
それは約1時間弱のものでしたが、セラピーが終わったロジャーズは、最後にふり返ってこのように述べたのです。
セラピーの中で行われることは
クライエントに対して本当に優しい気持ちで、その人が本当に自分の感情を持ち、自分の人生を生きていくように援助することであり
セラピストが他の人に与えうる最大のものは、最小ではなく最大のものは、その人の感情に別の人間として喜んで寄り添って歩んでいくことだ。
まさにその通りのセラピーだったなぁ、と私も感じました。
ロジャーズの応答の中心はリフレクションですが、それはおうむ返しと言われているようなテクニックとして言葉をくり返しているのではなく
また、クライエントの言葉を言い換えて伝えていても、自分勝手な解釈ではなく、クライエントの内側を深く感じながら聴いていたら自然とそういう言葉が出てきた、という感じでした。
もちろんアドバイスもしませんし、励ましたり慰めもしません。
ロジャーズのセラピーを見ていると、クライエントの「心のそばに一緒にいる」大切さがよくわかります。
傾聴は一般的に「否定しないで黙って最後まで聴くこと」と言われています。
あるいは、うなずいたりあいづちをしながらおうむ返しをすることだ、と。
ロジャーズの応答も一見そのように見えますが、彼自身の中では「その人の感情に別の人間として、喜んで寄り添って歩んでいく」ことをし、その結果として、否定しなかったり、おうむ返し(実際にはおうむ返しではない)をしていた「ように見える」だけなんですね。
そしてこれは私の勝手な感想ですが、「喜んで」というところが本当に大切だと思うのです。
というのは、聴きたくもないのに聴いているときって、喜んで聴けている状態でしょうか?
おそらく嫌々聴いていたり、何か我慢したり、無理をするような聴き方になっていると思います。
私の話を少しさせていただくと、私は昔「子どもの話を聴かなければ」と思っていた時期がありました。
だけどそれは喜んで聴きたいというよりも、親として当然そうすべきだと思っていたのです。
なので言いたいことがあっても我慢したり、「それは違うよ」という言葉を飲み込みながら聴くのは本当に苦しかったですね。
けれどロジャーズが言うように「喜んで」その人の感情の同行者になれると、とてもらくに聴けるのです。
それがどうしたらできるようになったのか、という話はまた別の機会にするとして、「話を聴くというのはこういうことなんだ」というのがよくわかる貴重な記録で、私も初心に返る気持ちでした。
この映像は一般流通していません。
下記で購入できますので興味のある方はお問い合わせください。
KNC関西人間関係研究センター
https://www.knc-umeda.jp/knowledge/
ロジャーズのカウンセリング面接ビデオ『Miss Mun』
また、同内容の英和対訳で書籍化もされています。
こちらはAmazonで購入できます。↓
カウンセラーやセラピストを目指す方はもちろん、誰かの話をちゃんと聴けるようになりたいという方の参考になると思います。