今回は「傾聴の弊害となり得るものとは?」というお話です。
結論から言うと
それは「役割」や「肩書」です。
人にはいろいろな役割や肩書があり
その役割に沿って生きているところがありますよね。
わかりやすいところで言うと
親とか上司。夫や妻。
また、さまざまな職業もそうですね。
看護師、保育士、学校の先生、占い師、
カウンセラー、コーチ、セラピスト、キャリアコンサルタント。
上げればきりがありませんが
この役割や肩書が
聴くときに邪魔をすることがあります。
なぜかというと
「○○として」という役割は
あなたに、その仮面を被せてしまうことがあるからです。
親としてこうあるべき
カウンセラーとしてこうあるべき
という、大なり小なりですが
その役割にふさわしいふるまいを
しようとします。
それが悪いわけではありませんが
役割の仮面を被ったまま傾聴しようとすると
その役割の耳で聴いたり
発言してしまいがちになります。
もちろんそれが必要な場面もありますが
今回の話の主訴ではないので
それは置いておきますね。
で、何が言いたいのかというと
役割の仮面は外して聴きましょう
ということです。
「私」という
ひとりの人間として耳を傾けることが
とても大切です。
人は役割に心を開くのではありません。
あなたという人に心を開くのです。
そうした偽りのない関係の中で
人は安心したり癒されていくのです。
役割はあなたの一面にすぎません。
役割も大切ですが、ひとりの人間として
相手にも、そして自分自身にも誠実である
ということが大切で
傾聴に求められているのはそこなんですね。